<p><strong>三朝庵はカレーうどん発祥の店である。</strong></p> <p>1904年頃に三朝庵の店主がカレーうどんを発明した。井上宏生『日本人はカレーライスがなぜ好きなのか』(平凡社新書、2000年11月)にその 逸話がある。</p> <blockquote> <p>大学ができると、三朝庵は学生や教授たちで千客万来のにぎわいをみせた。大隈もここの蕎麦を好み、たびたび舌つづみを打っていたという。しか し、それも長くはつづかなかった。早稲田界隈にもカレーの店が登場し、学生たちの人気を奪ったからだ。こうして三朝庵は存亡の危機にさらされたのである。</p> <p>そこで当時の主人は一念発起、「ご飯にカレーが乗っているなら、うどんにカレーが乗ってもおかしくはないはずだ……」、そう考えたのだった。彼 は老舗の存亡をかけてカレーうどんの開発に情熱を注ぎ、試行錯誤ののち、二年後、あのとろみのあるカレーうどんを発明したのだ。一九〇四年ごろのことであ る。</p> <p>カレーうどんはたちまちハイカラ志向の学生たちの評判をあつめ、三朝庵はかつてのにぎわいをとりもどしたといわれる。</p> </blockquote> <p>中目黒の朝松庵もカレーうどん発祥の店を主張しており、1908年に大阪でカレーうどんを売り始めたとしている。席上のメニュー裏には「カレー南ば ん カレー丼 の由来」が書かれている。</p> <blockquote> <p>「最近、急速に洋食というものが盛んになってきたがこの洋食の味を取り入れてみてはどうだろうか」 こんな考えの元に二代目酉之介が研究を重ね、苦心の末に「カレー」を新しい種物として「うどん」に掛けて「カレー南ばん」、「ご飯」に載せて「カレー丼」 として大阪は谷町で、「東京そば」と号して手打ちの店を開業し売り始めました。時に、明治四十一年秋のことです。</p> <p>大阪での大成功から売れるとの確信を得て、明治四十三年東京の店でも売り出したのです。しかし、同業者に材料まで持参し宣伝しましたが、老舗と いわれる店では門前払い、或いは体よく追い払われる始末でした。しかしながら根気良く宣伝して歩いた甲斐合ってか、大正三、四年頃には業界にも認識され相 当数の店が看板を掲げるようになりました。以来、八十有余年、独特の味は「一子相伝」連綿として守り続けております。</p> </blockquote> <p>1904年頃の三朝庵が発祥の店なのか、1908年の東京そば、今の朝松庵が発祥の店なのか、これ以上は調べようがなかった。</p> <p>井上宏生『日本人はカレーライスがなぜ好きなのか』(平凡社新書、2000年11月)では、朝松庵の二代目角田酉之介氏をカレーうどんではなく、カ レー蕎麦の発明者としている。</p>
— <a href="http://www15.atpages.jp/babameshi/sanchouan.html" target="_blank">三朝庵(カレーうどん、カツ丼発祥の店)@早稲田 - 高田馬場B級グルメ</a> (via <a href="http://tiga.tumblr.com/" class="tumblr_blog" target="_blank">tiga</a>)